2008.11.17
111 この上もない愚策

 「このお金は僕のだ。」「違う!お母さんのもの!」という親子喧嘩まで引き起こした金権騒動ならぬ金券騒動を記憶されている方も少なくはないはずだ。1999年に公明党の発案で、冷え込む日本経済の立て直しのために文字通りばらまかれた「地域振興券」配布後のエピソードだ。地域の振興という今ひとつ意味が不明な目的で15歳以下の子供がいる世帯や満65歳以上の高齢者などを対象として、一人当たり3万円のクーポン券が配られた。経済企画庁は、GDP個人消費の0.1%程度を押し上げたと自画自賛するが、これらの消費の実態は、地域振興券の存在如何に関わらず行われたもので、「ばらまき」の以外の何ものでもない。政策は持続性を求められるものだが、クーポン券に持続的効果など期待できるはずもなかった。そして費用対効果の検証すら行われず、また、その後政治家諸君はこの件については黙して語らずであった。
 月日は流れ、いつか見た映画がまた来る。今回も公明党のアイデアだ。何とその規模は「地域振興券」の3倍になる。配布先も全世帯だそうだが、所得制限でもめたあげくは高額所得者の自主辞退を期待するなどおよそ絶対的公平を旨とする制度とは無縁の議論を政治家が行っている。
 根本的に定額減税、給付という考え方が間違っている。定率減税では、所得の高い高額納税者には恩恵が多く、所得の低い人々はもともと税率納税額ともに低く減税代がないので、昨今のコモディティ価格の高騰による困窮を救うことできない。定額であれば、定率減税による恩恵に浴さない人々も一定の金額を受給することができるというのである。しかし、それならなぜ全国民なのかという疑問が起こる。これに答えたのが所得制限を設けるという策である。そしてその給付事務と給付制限判断を地方自治体に丸投げをして、責任を放棄している。「要支援」の線引きは絶対に必要なのだがそれは難しい。税金によって「暮らせる賃金」が保証されている公務員にも給付されるのだろうか。こんなことさえ明確にしない政策とは一体何であるのか。
 税金は根拠のあるデータに基づいて具体的な施策に使われなければならない。まず2兆円という予算額がどのような必要性に基づいて算出されたのかそこから理解できない。駄賃のように適当に財布から出して「はいっ」という類いのものではない。実際に2兆円の内消費に回るのは20%程度と見積もられ、夫婦と子ども2人の4人家族をモデルとして予想される支給額65,000円がGDPに与える影響も0.1〜0.2%の伸び率にすぎない。しかも極めて一過性で、使いきるとそれでおしまいである。
 確かに経済情勢ではとくに低所得者層がその影響を大きく受けている。しかし、彼らの困窮は今に始まったことではなく、構造改革の負の遺産として長い年月の積み重ねであって、その結果としての矛盾だ。たとえば、医療保険制度の網の目からこぼれ無保険のこどもが3万人を超えていて、彼らは優れた医療の恩恵を受けられない。仮に親の自堕落がうんだことだとしても、こどもに責任がある訳ではない。彼らを救うのが政治である。今、全国の小中学校で何がおきているか。教育予算をタイトにしたばかりに教員数が激減し、その穴埋めに雇用していた臨時教員の確保もままならず、授業そのものが行われず、自習になっているケースがある。もしも2兆円という高額の予算が組めるとするなら、こうしたケースにこそ税を投入すべきだ。確かにこれも即効性は薄い。だが効果の持続性は高い。よい教育やよい医療は生涯ついて回る。将来の豊かな社会の基となる。しかも遠い未来のことではなく近未来のことなのだ。

 筆者は慢性的な小遣い不足に悩んでいる。趣味の釣り道具を買ってもらえないショップの親爺もイライラ気味だ。今月は家内の温情で特別の収入があった。釣具店の親爺はやや喜んだが、相変わらず小遣い不足は続いている。
 政治家が真の政治語らんとするなら、どんぶり勘定の愚策をやめて、将来にかけるべきだ。
(注:このエッセイはイチフジネットワークの公式見解ではありません。)

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